店舗ご案内
やっこの歴史

創業は約200年前の寛政年間、徳川将軍で言えば家斉の時代に、現在と同じ場所、浅草・田原町に店を構えました。

ちょうどその頃に「鰻の蒲焼」が江戸発祥の料理として開発されたので、もしかしたら、「うな重」「蒲焼」のうなぎ屋としては日本で一、二を争う古い店かもしれません。


なにぶん古い話ですから文書などもあまり残っておりませんが、1824年(文政7年)に発行された『江戸買物独案内』に「鰻奴」の名が記されています。

また、1852年(嘉永5年)発行の『江戸前大蒲焼番付』(当時のグルメ紹介紙)には、江戸の美味い店の前頭筆頭に選ばれています。



やっこの鰻

やっこのうなぎは、産地やブランドに惑わされず、その季節、その時期に一番美味しいうなぎを厳選して使っています。


同じ場所で採れたうなぎでも、天候や時期によって、できの良くないときがあります。ただ々、美味しいうなぎを味わっていただきたい思いだけで、産地やブランドにはこだわりません。

しいて言えば、「本当に美味しいうなぎをお出しすること」にこだわっています。


江戸前の蒲焼は、割く→蒸す→焼くの順で調理されますが、身が崩れる寸前まで柔らかく蒸した鰻が最高と言われています。

やっこの蒲焼をお試しください。
その身の柔らかさは、口の中でとろけるようです。



エピソード

幕末から明治にかけての頃、ジョン万次郎(中浜万次郎)が勝海舟と連れだって、よく当店にご来店されたそうです。


その頃のエピソードです。

当時幕臣となり、それなりに裕福であったはずの万次郎ですが、食事の残りをいつも折り詰めにしてもらい持ち帰ったそうです。
その姿に当店の店員が「万次郎はしみったれだ」と噂をしていたそうです。

ところがある日のこと、当店の仲居が外出したとき、橋の下にいたみすぼらしい格好をした人に「この前は、お前にあげられなくて悪かった」と言いながら当店の鰻を渡していたのを見ました。

万次郎は、わざと食事を残し、その残りを包んでもらい、恵まれない人たちに分け与えていたのです。


仲居から話を聞いた店員たちは、万次郎を誤解していたことを反省し、後に万次郎のご子孫が当店にご来店の際、誤解していたことをお詫びした話が万次郎のお孫さんが書かれた本に載っています。


勝海舟もジョン万次郎も、幕末の英雄坂本竜馬とつながりが深かったので、もしかしたら、竜馬も当店の鰻を楽しんだかもしれません。

新撰組も浅草でよく遊んだそうですし、沖田総司の最期の地となった今戸神社も近くにあります。

  〜江戸後期から幕末・明治の英雄たちが
            
当店の鰻を楽しんだかもしれない〜

話が残っているわけではありませんが、そんな想像をしてみるのも楽しいことです。



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